禁煙254日 一粒の麦
禁煙244日の日記で、DJさんが聖書からの引用をコメントに残してくれた。キリスト教徒でなくまた勉強不足の私には、その意味がいまいち読みきれていなかったが、アンさんが注釈をまたコメントとして残してくれた。やっと意味がわかったと同時に感動したので、今日の日記にしたい。
(DJさんがヨハネによる福音書から引用)
一粒の麦、地に落ちて死なずは、唯一つにて在らん。もし死なば 多くの果を結ぶべし。
己が命を愛するものは、これを失ひ、この世にてその命を憎むものは、之を保ちて永遠の命に至るべし。
(アンさんの注釈)
1粒の麦は、自分の命を それぞれ、懸命に生きると、それが尽きた時、必ず多くの実を結び 多くのものを生み出す、という、大好きなことばです。
自分の1粒も、そればかりを大事に、しすぎ地にかえさなくては、何もうまれないーという、意味もあります。
「自分の命を懸命に生きると、それが尽きた時、必ず多くのものを生み出す」
本当にそれは真実ではないかと思う。
命について思うとき、どうしても父のことが頭に浮かんでくるのだが、父の死は、私たち家族一つをとってみても、本当に多くのものを生み出した。この日記を始めるまでは、父の死によって多くのものを「失った」といつも思っていた。でもそれは違うと今となっては思える。
父の生き方、そしてそうして死んでいったこと、は、私たち家族一人一人の背中を、有無を言わさずに押し出した。たくさんの悔しい思いの中でも、とにかくそれまでとは違う、どこかに向かって生きていくしかなかった。あれから、妹は結婚して幸せにしている。母は仕事に趣味にアグレッシブに動いている。そして私は、この日記を書いている…。
もう一つの意味「自分の一粒を大事にしすぎていては何も生まれない」
これは仕事をしていてよく考える。私など、自分の麦を大切にしてしまうほうで本当にまだまだなのだが、上司や生徒さんで、捨て身で人に尽くせる人がいる。そして、その周りでは必ず何かしらが生まれているのを私はしょっちゅう目撃してきた。例えば、修了のときの生徒さんの上司に向けられた涙。文句一つ言わずに捨て身で動き回った生徒さんに対するみんなの尊敬の心。どれもみんな美しいものだった。
この言葉は私にとって、一生懸命生きることについて勇気を与えてくれる言葉だった。
DJさん、アンさん、ありがとう。
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