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2005/04/29

禁煙229日 変わらないもの

最近、「人は変われない」という深い諦めに似た気分になることがある。
「人が変われるか変われないか」について人それぞれの人生経験からいろいろな見方が出てくることと思うが、私の人生経験からは、変われない、というところにどうも落ち着いてしまう。

司法試験をやっていた頃の後半、自分のそれまでの価値観ではどうしてもやっていけなくなった。それで、一つ一つ、自分の価値観を否定していっていた。簡単に言えば、自分の全てが嫌で、嫌いだった。結局、全部否定して違う人間になろうとしていたと思う。とても尊敬する友人がそばにいたので、彼女のようになりたいと切に願っていた。
価値観がいったん全て崩れるというのは、今から考えても恐ろしい経験だったと思う。でも、そのどん底の次には、上にいく道だけがあって、どんどんとひたすらに上ってくることができた。
それで、その道の途中で、変わった自分を感じるようになった。これは結構な驚きだった。願ったように変われたのは本当に不思議だった。
お手本にしていた友人のあとをついていっているように、今でも「彼女もおんなじこと言ってたよな~」と思うときがたくさんある。
そんな風にして、私は彼女に「似た」。けれど、彼女になれたわけではない、当たり前だけれど。最近、よく思うのだけれど、嫌で徹底的に否定してきた自分の、暗の部分、がまだそのままの形で私の中に残っている。
そしてそれが、私の根本的なものだということも感じる。だから、努力して、友人に似た、といっても、それはどうしても細部のことでしかなく思えて、根本は何にも変わっていないじゃないか、という深い諦めに至るわけである。
そうなってくると、もはや、否定しているわけにもいかない。そういう、自分の暗の部分も抱え込んでとにかく前に進んでいかなければならない。
結構大変なんだなぁ、なんて思う、GWの初日。

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2005/04/20

禁煙220日 長い休みの後に

「青春の詩」

青春とは
人生のある時期ではなく
心の持ち方をいう
バラの唇、しなやかな肢体ではなく
たくましい意思、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす
・・・・・・ときには、二十歳の青春より
六十歳の人に青春がある
歳を重ねただけでは人は老いない
理想を失う時、はじめて人は老いる
歳月は皮膚にしわを増すが
熱情を失えば心はしぼむ
六十歳であろうと十六歳であろうと
人の胸には驚異に魅かれる心
おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある
頭を高く上げ
希望の波をとらえる限り
八十歳であろうと
人は青春にして已む

                    サムエル・ウルマン
                    (原題 Youth)

最近、歳をとることについて、少し物悲しい気持ちがしていた。
去年の今頃まで、歳を気にしたことがあまりなかったのだが、最近ではもう若くはない、と感じることが多くなってきた。若さというのは失われてしまったもの、という気がしてならなかった。若さに嫉妬することも多くなった。
今日、昨年度の修了文集を何気なく見ていたら、隣のクラスの担任の上のような引用文を見つけた。
理想も何も崩れ去った、と感じたときから少し長くお休みしていたが、最近は、まぁそんなに大げさなものではないにしろ、自分の居場所を見つけ、居心地のいい自分でいろいろとものを考えたり、情熱や理想を少しは持ててきたと思う。
長年積み重ねてきた理想が崩れた時に、もう二度と理想など持つものか、と振り子が逆方向に大きく振れた。その時から、随分と長い時間がかかってしまったが、もしかして、今がサムエル・ウルマンの言う「青春」なのかもしれないと、はっとした。
歳を気にして、少しふてくされていた私に大きな喝をいれてくれた。大切なものは全て心の中にあることを。それをいつも見失わないでいたい。

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2005/04/13

禁煙213日 桜前線逆行の旅

昨日まで2泊3日で、福島のいわきにあるスパリゾートハワイアンズというリゾート施設へ、母と行ってきた。

先週末から東京では桜が満開になり、いざお花見でも、と思ったところで、前から母が申し込んでいたこの旅行が発覚してしまった。

ただ、こんなに春うららなのだから、福島ももう咲いているに違いない、という間違った思い込みもあって、福島でもお花見し、帰ってきてから東京でもお花見をしようなんて、とても甘い考えでいざ出発。

しかし、福島に降り立った時の寒さといったら…。桜など咲いているはずがない寒さだった。

そこで、旅行の目的を施設内、特に温泉に絞ることにした。ハワイアンズというだけあって、施設内はとても暖かい。朝の5時から、温泉に入り始め、帰りの日などは、出発の5分前まで入っていた…。

帰りのバスでは(新宿へ送迎バスが出ている)、さすがに湯疲れを感じ、ヘロヘロになった。はっと気づいたとき、夢のように満開の桜が、バスの窓いっぱいに広がっていた。多分、茨城かそこら辺だったと思う。桜前線を確実に逆行していた。

次にはっとしたときには、今度は行きにあんなに満開だった隅田川の桜がほとんど散って、赤茶っぽくなっているのが見えた。あ~やっぱり、東京は散ってしまったか…。

花の中で桜が一番好きなので、今回の旅はタイミングが悪かったといわざるを得ない。

でも、ハワイアンズに嬉しそうに、楽しそうに集っている、たくさんの家族連れや若者達、それを見ているだけで、なんだか本当に日本は平和で幸せな国だなぁ、なんてしみじみ思った。

こんなふうに、平和で幸せな旅は、静かに桜前線を逆行しながら終わった。

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2005/04/07

禁煙207日 初授業

春休みには、昨日で勇ましく?でもないけれど、おさらばした。
今日からさぁさぁ、仕事仕事だ。3月は毎日授業だったし、それに比べたら、4月なんてまだまだラクなものよ、と思っていたのは間違いだった…。
今日は台場の先の方の学校。ここの学校で新年度から受け持つのは初めてなのだ。いつもの障害者校だと、4月はクラス分けの関係で授業がほとんどない。クラス分けも終わり、クラスの雰囲気も温まってきた頃に、授業スタートだ。もちろん緊張はするものの、クラスの雰囲気が、もうやんややんやで反応があって楽しい。
しかし、今日、その台場の先の学校に行って初めて気づいたのだが、生徒はおととい入校したばかり。しかも、授業は今日から…。シーンとしてとってもとっても厳かな雰囲気の中、授業は始まってしまったのだ。私の一番苦手なパターン…。
もう緊張なんてものじゃなかった。回れ右をして帰りたかった。お昼なんて全然喉を通らないし…。同僚講師のベテランの先生にも今日会ったけど、やっぱり何年やっても初授業は緊張するって言ってた。
ただとてもいいことがあって、上司が変わったのだが、今度の上司はとてもいい人だった。まだ若いし、熱心だし。職員室の居心地がこんなによくなるなんて。やっぱり、人には恵まれているんだよなぁ。
緊張した分、授業終わったあとの爽快感はひとしおだった。だからやっぱりこの仕事はやめられない。

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2005/04/05

禁煙205日 よくばりな日

あったかい日。春ですね~。
今日はいいことがあって、ルンルンなんだけど、だからこそ少し、わがままになりたい気分になったりして。
お休みで、のんびりしているからこそなんだか、もっともっと自由がほしくなったりして。
よくばりな今日の私です。
なにもかも捨てて、いろいろなしがらみから逃れたくなることって、誰にでもたま~にあることだと思う。今日はそういう日みたいで、もっと自分の気持ちに正直に動けたらどんなにいいだろうか、なんてとりとめもなく考えたりした。
きっと十分正直に動いているのだろうけど、よくばりな日だから、もっともっと、と思えて仕方がないみたいだ。
でも、なんとなく、誰かに縛られているような気がしてたけれど、一番縛っているのは、自分自身だなぁとつくづく思う。しがらみをしがらみでなくするのも、自分しだいのようだ。
ただし、自分を縛ることはやっぱり必要だとも思う。それがなくなったら、きっと自分という個性の放棄になるのだろう。
恵まれた日は逆にいろいろ考えてしまって、よくない。いや、たまにはよく考えた方がいいのかな…。

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2005/04/01

禁煙201日 本気

おかげさまで、禁煙も200日を越え、また新しい一歩となる日、201日目、を迎えました。そして今日は4月1日、新年度の始まりの日でもあります。
完全に、こういうのを「燃え尽きた」というのか、というほどにゆる~く伸びきってしまっている、今日この頃。
来週からはぼちぼち学校も始まってくるというのに、これではダメダメだ…という危機感のもと自分にカツを入れるために記事の作成画面を開いています。
新年度の合言葉は、「本気」でいきたいと思います。これは私の敬愛する上司が修了文集に残した言葉。

         本気

本気になれば たいていのことができる
本気になれば なんでもおもしろい
本気になれば だれかが助けてくれる

本気でもできないことがたくさんある、と斜めに構えながら司法試験に挫折をして入ってきたこの学校で、不可能は絶対にあるにしても、可能なこともたくさんあると、生徒や上司に気づかせてもらった。
だんだん本気になるに従って、おもしろいことが増えた。楽しむことに貪欲になった。
そうして、いろいろな人に助けてもらった。
だから、最初はちょっと抵抗のあった、「本気」という言葉も、今は信じられるようになってきたと思う。
言葉で「本気」というと、かなり息が苦しくなってくるような気がするが、実際の「本気」をみてみると、なんだか穏やかで、淡々と過ぎていく日常の中の、たくさんの笑いのあるところに、「本気」があるものなのだと感じる。
今年度の出会いも楽しみにしながら、残りの春休みを過ごしていきたいと思う。

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