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2005/02/25

禁煙166日 癒しについて

6月に大学の時の友達がまた一人、結婚することになった。ときいても全然焦らない自分に焦ったり。私もいい加減に気楽な独身生活から足を洗わなければいけないのだが…。
それで、結婚式に長野に行くことになった。6月の長野、いい感じだ。とても楽しみ。
で、せっかく長野に行くのだから、松本にいる大学のゼミの後輩、右サイドバーののの友にある高野ちゃんのところにも遊びに行かせてもらうことになった。
それをメールで打ち合わせたのだが、高野ちゃんからの返信メールに、この日記を毎日読んでいるので久しぶりという感じがしない、というようなことが書いてあってかなりどきっ。
そうだ、HP立て始めの頃、調子に乗って宣伝したのだった。それでもタバコと無縁の人が、ずっと読んでいてくれるとは思いもしなかった。高野ちゃんはとても律儀ないい子なんだ。あ~それにしても恥ずかしい…。
私、何書いてきたっけ?と思って自分の日記を遡り始めた。日記はいつもその日書いたら、書きっぱなし。あまり前の日記を読み返すことはない。都合の悪いことはすぐに忘れていく性格ゆえ、日記も本能的に、恥ずかしい→忘れるという方向で、あまり書いたことを覚えてはいないのだった。
とりあえず2月分を読み返した。というかもうこれで精一杯だった…恥ずかしくて…。なんだか本当に毎日恥をさらしながら生きているのだなぁ、と実感することとなった。
恥をさらしながら生きるのが人生だ、なんていう言葉どこかで聞いたような気がする。恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないけど、そうなってくると、この恥さらしな日記も私の人生の1ページなわけなのだ。実際、書くことによって、確かに救われている部分が多い。恥をさらしてでも、今の私にとって書くことは必要なのだと感じる。もちろんこんな風に思えるのも、温かい読者のみなさんが見守ってくれているからなのだけれど。
私の大好きな作家、村上春樹氏もどこかで書いていたが、人は誰でも傷とか病とかを心のどこかに持っているのだと思う。こんなに価値が多様化している状態で、これがスタンダードといえるものはない。だから、みんな多かれ少なかれスタンダードからは外れていて、そしていろいろなギャップに苦しんでいる、そういう時代だと思う。
それを癒すための心の旅を今みんながしている。そして、私もその旅の末に見つけたのが日記を書くことであったようだ。タバコを吸うことで癒されていると勘違いしている時もあったが…。

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コメント

ののさん、こんばんわ。
「日記は、文章にした時点で必ず誰かの目を意識したものになっており、必然的にある程度の装飾が含まれている」というようなことを聞いたことがあります。そういう意味では、ネット上の日記というのは、多分に誰かの目を意識したものであり、装飾が入っていて然るべきものだと思います。
一方で、私自身、ネット上でだれかの日記を読み、さらにはコメントするなんていうのはココが初めてのことですが、「案外楽しいじゃん」というのが正直な気持ちです。少なくとも私にはののさんの人となりのようなものが過不足無く感じられています。
これも何かの縁です、恥をさらしているなどといわずに日記続けてください。楽しみにしている人間がドイツにもいるんですから。

投稿 飛行機雲 | 2005/02/26 09:33

飛行機雲さん、こんにちは。
ドイツからあたたかいエールありがとうございます。
そうです、かなり人の目を意識している、というかおびえつつ、日記を書いております。最初は誰に向けて誰を意識してどういう風に書いたらいいのか分からずに頭を抱える毎日でした。最近は「誰」を特定することは不可能だから、不特定の「誰か」に何を伝えたいのか、とにかくできるだけわかりやすく、誰にでも自分の思いがわかるように、そこを重点的に意識するようになりました。
いつも心配なのが、自己満足に終わってしまって、そこから何も進まず、何も生まれないようなものを書いていないだろうか、ということです。
だから、こうして、コメントをいただいたりしながら、少し進んだり生まれたりしていくと、とても嬉しいです。
しかも、案外楽しいじゃん、なんて言ってもらえるととてもほっとします、ありがとうございます。

投稿 のの | 2005/02/26 14:26

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