« 禁煙163日 朝の時間 | トップページ | 禁煙165日 女社会 »

2005/02/23

禁煙164日 肩書きのない自分

あったかい日!桜のつぼみがふくらんできていて、嬉しくなった一日。春はもう、すぐそこ。
今日は何かのテレビで三輪明宏氏がこんなことを言っていたのが心に残った。
「良い親子、良い夫婦になろうとするのではなく、よい人間同士でいよう」というようなこと。
そうだなぁ、と思った。いろいろなところに応用が利く気がした。たとえば、私は学校で先生をしているけれども、よい先生と生徒という関係を目指すのではなく、お互いを肩書きのない人間として付き合うことはとても大切だと感じていた。それを三輪氏がうまく言葉に表現してくれたみたいな気がして、嬉しかった。
私の敬愛する上司も、人間同士としてぶつかり合うタイプだ。異動で私のクラスにやってきたとき、明らかにキャリア不足で自信も持てないでいた私を、最初にきつ~くものを言った以降は、キャリアのことやなにかは置いといて、実際の私の授業をみて、単なる上司と部下ではなく、人間同士として扱ってくれた。
新しい学校の方の上司とはまだ慣れていないが、あまり上司だと意識しすぎず、同じ人間同士としてやっていこうという勇気を与えてくれる言葉だった。
肩書きのない素の自分自身でどれだけの魅力を持てるだろうか、こんなことを考え始めたのは、父が病気になったときだった。
父には弁護士という肩書きがあったが、肺がん病棟で弁護士だということを誰かに言ったことはなかったし言う必要もまったくなかった。もちろん、自分の肩書きを、聞いてもいないのに言う人もいたし、有名な政治家も入院していたが、なんだかそういう人を見るたびあわれでならなかった。死んでしまったら肩書きなんて、どこにも持っていけないのに。
肺がん病棟では当たり前だけど、政治家であろうがなんであろうが、肺がんの前に皆平等だった。それを目の当たりにした時、名誉欲とかは人間の本能的な欲求だけれど、それに振り回されることほどばかばかしいことはないとしみじみ思ったものだった。死んだら自分の心以外、何ももっていけない、そう思ったときが私は本当に弁護士になりたいのだろうか、と考える長い旅の始まりだった。
肩書きで生きていって自分が空っぽになるより、肩書きナシで素の自分自身で生きていったら、強くなれそうな気がした。そんなことを思い出した日だった。

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/62200/3050133

この記事へのトラックバック一覧です: 禁煙164日 肩書きのない自分:

コメント

いろいろ考えさせられることの多い記事で、何度も読み返しました。
「肩書き」をつけることって、簡単なんでしょうね。素の人間としての魅力をつけるつけることには方程式はありません。魅力的なひとが10人いれば、通ってきた道のりも10通りあるでしょうし、多分全く同じ道のりを通ってきても同じように魅力的になれるわけではありません。魅力的な人は「哲学」を持っていますよね。「クセ」もありますよね。一生懸命、誠実に生きるだけでは不十分で、もう一捻りか二捻り、何かかがいるんでしょうね。興味深いテーマですね。
それにしても、このまとまりのないコメント、何とも失礼しました!

投稿 飛行機雲 | 2005/02/24 06:46

飛行機雲さん、こんばんは。
一緒に考えていただいてありがとうございます。
そうですね、肩書きのない素の人間として生きるとすると、今度は人間的魅力ってどういうものだろう、というのが新たなテーマになってきますね。
いろいろな人をみて、ああいう人になりたいなぁ、と思うこともあるけれど、自分とは違う人間になろうとすることは、魅力的とはいえませんよね。飛行機雲さんが言うように、自分なりの哲学、クセ、を恥じないでいくこと、でも自分に意識過剰にならずに飄々といられること、が個性を発信できる魅力的人というのかなぁ、と現段階では思いました。
そう考えると、人間ウォッチングが楽しくなりそうですね。これからもたくさんの人の魅力に出会いたいなぁ、なんて思いました。

投稿 のの | 2005/02/24 22:03

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。